篤姫の養子となった徳川家茂のエピソード
篤姫の養子となった十四代将軍徳川家茂(いえもち)という人はとてもイイ人だったらしく、いくつか逸話が残されているのでご紹介。
家茂は弘化三年(1846年)十一代将軍・家斉(いえなり)の七男で紀州藩主となった斉順(なりより)の長男として江戸で生まれた。幼名は菊千代。
父親は菊千代が生まれる1ヶ月前に他界しており、叔父の養子となり育ったあと、わずか4歳で十三代紀州藩主となる。
幼少時代からしっかりと育てられ、人を思いやる気持ちをもった素直でイイ子供だったという。
家茂は幕臣の戸川播磨守安清に師事して書道を習っていたが、あるとき、墨をするために用意してあった水をいきなり安清の頭にかけ、手を打って笑い
「あとは明日にしよう」
と立ち去った。
ふだんの家茂らしくないイタズラに同席していた側近たちは
「ひどいことをなさるものだ」と嘆いていると、安清が泣きながら説明をした。
安清は当時70歳の老齢で、家茂を教えている最中にうっかり失禁をしてしまった。
表沙汰になると何らかの処分を免れないので、それを察した家茂が水をかけるイタズラでカムフラージュして救ったのだ。
「明日にしよう」の言葉は「辞める必要もない明日も教えに来てくれ」という意味だったのだ。家茂の温情に安清は涙が止まらなかったという。
そんな人柄のいい家茂に初めは無理やり政略結婚させられた和宮もどんどん好きになっていったようです。
昭和30年代に徳川家墓地の発掘作業の際、和宮の遺体は家茂とおもわれる若い男性の写真を抱くように棺に収まっていたという。
すごくイイ話ですね〜^^
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家茂は幕臣の戸川播磨守安清に師事して書道を習っていたが、あるとき、墨をするために用意してあった水をいきなり安清の頭にかけ、手を打って笑い
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と立ち去った。
ふだんの家茂らしくないイタズラに同席していた側近たちは
「ひどいことをなさるものだ」と嘆いていると、安清が泣きながら説明をした。
安清は当時70歳の老齢で、家茂を教えている最中にうっかり失禁をしてしまった。
表沙汰になると何らかの処分を免れないので、それを察した家茂が水をかけるイタズラでカムフラージュして救ったのだ。
「明日にしよう」の言葉は「辞める必要もない明日も教えに来てくれ」という意味だったのだ。家茂の温情に安清は涙が止まらなかったという。
そんな人柄のいい家茂に初めは無理やり政略結婚させられた和宮もどんどん好きになっていったようです。
昭和30年代に徳川家墓地の発掘作業の際、和宮の遺体は家茂とおもわれる若い男性の写真を抱くように棺に収まっていたという。
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