篤姫の生涯6 篤姫と静寛院(和宮) 動画

静寛院との仲

安政7年(1860年)3月3日、井伊直弼が暗殺され(桜田門外の変)、状況が変化した。
文久2年(1862年)、公と武の融和のため、孝明天皇の妹、和宮が第14代将軍家茂(いえもち)(慶福)に降嫁(こうか)することになったのである。

28歳の若い天璋院は、姑として、自分より更に11歳若い和宮を御台所として迎え入れねばならなかった。

もともと許嫁(いいなずけ)のあった和宮であるから、気乗りしない政略結婚でもあった。

大奥でも江戸風に馴染もうとはせず、自らを「宮様」と呼ばせ、実母(観行院)や女官等80人もの供も御所の風をなびかせたので、天璋院付きの女中260人と和宮付きの女中280人は、ことごとにいがみあった。

天璋院は和宮との初対面のとき、自分は上段で布団の上に坐り、下段の敷物なしに和宮を坐らせたが、和宮も京から姑への土産に「天璋院へ」と、敬称なしに宛名を書いている。

世に姑と嫁の確執として有名だが、勝海舟は、2人の関係を『旧事諮問録(くじしもんろく)』で、「和宮は天璋院と初め仲が悪くてね。なアに、お付きのせいよ」と回顧している。






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