篤姫の生涯1 生い立ち

篤姫の生涯について


<鹿児島での娘時代>
篤姫は、江戸幕府第13代将軍徳川家定の御台所(みだいどころ)(正室)、幕末維新の激動期、徳川家存続の最大の功労者であり、江戸と明治という2つの時代を生きた薩摩おごじょである。


篤姫は、天保6年(1835年)12月19日、鹿児島城下の今和泉家第5代忠剛(ただたけ)の長女として生まれた。今和泉家は、島津家の御一門(ごいちもん)の一つ。将軍家でいえば、御三家にあたる。母お幸(ゆき)の方も島津家の一族である。

篤姫は、藩主島津斉彬の養女となってからの名前で、はじめは一子(かつこ)と称した。(1番目の娘だったからである。)

安政3年(1856年)京都の貴族、近衛忠煕(このえただひろ)の養女となり、篤姫君と称され、諱(いみな)を敬子(すみこ)とし、同年12月近衛家から将軍家へ輿入(こしい)れした。

(外様の島津家から直接徳川将軍家に嫁ぐことは、家格の違いからできないので、近衛家の養女となったのである。)
一子は、小さいころから、明るく元気で利発な子であった。島津の名門だけに、将来は藩内の上級家臣か近隣の小大名の家に嫁ぎ、ごく普通の武家奥方として生涯を送るはずであった。

ところが、時代は一子を悲劇のファースト・レディに変えてしまう。事の発端は、幕府から持ち上がった。嘉永3年(1850年)、島津家に御台所(みだいどころ)の候補が求められたのである。





http://www.nhk.or.jp/kagoshima/atsuhime/retsuden01.html





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